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そろそろ桜の便りも聞かれる、いよいよの春も間近い京の都の場末にありし、立派なあばら家屋敷の蛭魔邸。そこを先日来から伺っていた、何とも掴みどころのない“怪しの気配”があって。いよいよの攻勢を仕掛けて来たものを、敢えて待ち構えのひょいっと軽々、小手先にて捻って引き倒し。向背から蹴り倒しつつ“とっとと帰れっ”と、せいぜい脅して追い払うつもりが、
《 この度は、我らが一門が多大なる迷惑をお掛けした。
更なる無礼を働かせぬためとそれから、
その詫びを申し上げにと こうしてまかりこしました。》
不思議な法力にて賊らをがっつりと搦め捕った上にて、そのような声をこちらへと掛けて来る別な存在が現れて。一見すると、此処、京の都には数多あまたある、いずれの権門の公達かというような、まだまだ壮年へは至らぬ若々しい目鼻立ちや体躯という風貌に、山吹色と橙に近い朽葉色との襲かさねになった狩衣に指貫という略服姿。正式な礼装では却って仰々しくて威圧的かと思ったらしいところもまた、上つ方であろう存在には思いもつかなかろう気配りがなされており。礼装でないことが礼を尽くすことになる、そんな不思議までご披露下さった彼こそは。流れから言ってもとんでもない御仁のお越しであろうに、
「まさか、玉藻様とやらが直々においでになろうとはの。」
こちらさんが高圧的なのはいつものこと。今頃になってのやっと、御大のお越しかいとか何とか。蛭魔の口調は相変わらずに、少々 皮肉っての揶揄の気配も感じられるような、辛辣さに満ちていた言いようではあったけれど。もしもこの場にあの書生くんがいたならば、
『これでもお師様にしてみれば 丁寧な物言いな方なんですよ』
と、懸命に助言を重ねてくれたに違いなく。また、
《 出遅れたこと、どう詰なじられましても返す言葉もございません。》
相手もまた、自分の側の非を重々心得ておられたか。その上でのこんなお返事を寄越されたので。それらをもって一応は納得したものか。それにしては、お迎えにとその身を戸口まで運びもしない蛭魔であり。
「…立ち話も何だ。上がれや。」
その腕に抱えたまんまの…今少し怯えている小さな坊やへこそ気を遣っての、静かな声ではあったれど。くいっと首ごと顎をしゃくって見せて、上がれと促す尊大さがとんでもない。玉藻さんとやらはともかく、彼に従う侍者が“主人大事”とその非礼へ怒りはせぬか、いつまで堪こらえて黙っておるものかと、傍らにいた葉柱は内心でハラハラしていたが、
《 下がりゃ。》
主人から静かな声にて短くそうと告げられると、控えていた侍者はとりあえず姿を消した。あくまでも、何の武装も威嚇のつもりもありませんという姿勢を貫きたいのだろう。こちらから言うのも何ではあるが、たかが人間を相手になかなかの徹底ぶりであり、
『なんの。いざとなりゃ、あの主上様の瞬きひとつで、こんなあばら家、ぺしゃんこに出来たからだろよ。』
負けず嫌いな蛭魔が、だってのに そうと見抜いたほどの力を持つお客人は。衣摺れの音もさせず、足音も立てずという優美な足はこびにて上がって来て。その陰陽師が 自分も腰を下ろしつつ手振りで勧めた炭櫃前の円座に腰を下ろすと、まずはと、肩幅のままの膝前の板の間へと双拳をつき降ろし、
《 重ね重ね、申し訳無いことをし申した。》
深々と頭を下げながら、あらためてそうと詫びた。
《 決まりがあって、何処の誰とも、これ以上は告げられぬ身だが。》
まずはとそれを前置かれてから、
《 そちら様にお掛けした難儀の数々は、全て当方の至らぬがゆえのもの。なのに、こんな形での詫びというのも浅はかかも知れませぬが、我らで出来ることならばどんなことでも致しましょう。どうぞ何なりと仰せ下され。》
あくまでも。へりくだっての謝罪の構えを貫き通す所存でおわすらしい御様子であり。とはいえ、先程蛭魔が口にした“玉藻様”という名を敢えて否定はしていない。こちらが十分な用意あって迎え撃った賊らを、唐突に乱入して来ての見事搦め捕れたほどもの、何とも不思議な力を操ることが出来るというただそれだけでも、常人なればこの邂逅を重々驚くべき奇跡の存在。しかもその上、それなりの地位にあること、蛭魔には先刻承知であるのだろうに、
「ほほぉ。」
相手の謙譲ぶりへと臆するどころか、そこへわざわざ片足かけての膝下へと押さえ込み…という増長を思わせるよな、見下し姿勢に満ち満ちたお声での応じを返す辺り。こちらもまた、その威風堂々とした態度を揺るがせるつもりはさらさらないらしい剛の者だったりし。
「そちらさんには枷あって言えぬらしいが、見たところと一連の仕儀からしても、あんたはどうやら天界にかかわりのある存在であるらしい。」
そこまで判っていると敢えて口にし、だのに、畏れ入るつもりはないとする傲慢さを徹底して示す蛭魔であるのは、
「穴埋めの詫びはするから、だから。
くうを…この葛の葉を返せと言いたいのなら。
俺らにしてみりゃあ、さっきの連中と何ら変わりはないのだがな。」
相手がたとえ天界の、しかも一族郎党その支配下に率いるほどもの力ある者であっても、その気になりさえすりゃあ…この自分でも勝てないかも知れぬ強大な存在であっても。譲れないこと、承諾出来ないことがあればこそ、その強靭な気概を何としてでも揺るがせにせぬ、頑固頑迷な男であり。怜悧周到なところから、いかにも要領ばかりがいいように誤解されがちな彼の、これが本来本当の姿。
“ホンっト、他人のことを悪し様に言えねぇほど不器用な奴だもんよな。”
葉柱がその胸中にてこっそりと、何とも言えぬ苦笑を浮かべる。平生からしてあまりに強い男だから、誰にも気づかれずにいるだけの話。途轍もない窮地や、こうまでの相手が現れでもしない限り、勝ち目があろうがなかろうがそれでも逃げ出しはせぬという、そんな気骨ある本性だってこと、晒しようがないという順番なので。故に誰にも判りようがないと来て、
“損な性分、してやがる。”
まったくですねと共感してあげるから…お惚気は後にしなさい、総帥様。(苦笑) 立ち上がったりした訳でもないというのに、天狐の長を見据える蛭魔の気迫はなお増して圧倒の度を深め、
「大上段からの慈悲とやらを名目に、何万を救うためじゃ許せよと、1人か2人、贄に差し出せなんて言い出す神様もいるこったしな。」
棘ある弁舌を奮いつつ、相手をしっかと睨むその眼光の鋭さは、激しさを増しての尖るばかりで。
「初見の相手には違いないんだ、あんたがそんな奴じゃないと言い切れまい。そういう相手へ、仲間や家族を一も二もなくの ほいほいと、差し出せると思うか?」
これこそが本音とばかり、大見え切って言い切った蛭魔の言へ、
《 家族、とな?》
向かい合う男が…天狐の長が怪訝そうな顔をしたのは、蛭魔が抱えている くうは“人の子”ではないのに?という含みがあってのことらしかったが、
「おうともさ。」
勢いに任せての言い過ぎなんかじゃねぇぞと、言わんばかりに胸を張り、
「俺らとの意志疎通が出来て、自我があって意志の主張が出来て、その上で価値観が同じとくりゃ。そうなりゃもう申し分なく、憎うない同族同様と思うて何が悪い。」
相変わらずの大威張り。きっちりと断言したその上で、更に蛭魔が続けたのは、
「ましてや。
あんたは、この子をこんな境遇へと落とした元凶の正室とやらを、
それなり罰したに違いない。
そうでなきゃ、こうやってあんた本人が直々に、
狙い違わずの此処へと真っ直ぐになんて、到底降りて来れまいからな。」
さっきの賊らが結界の外での打ち合わせをしつつ、あれやこれやと愚痴半分にこぼしていたため、ここ数日で相手の陣営の裏事情とやらは大体把握出来てもいて。
「名前までは知らねぇが、正室だろう“北の方様”とやらが目の敵にしていた側室に、乱菊っていう別嬪がいた。それがこの子の母親で、不穏な空気を感じた彼女が、天世界の結界を破ってまでして地上へと逃げたのがコトの始まりだ。」
まだ幼子だから大人たちが何を話しているのかが判らぬだろうと、そんな高をくくっている蛭魔ではない。彼にまつわることだから…とっても大事なことだからと、敢えて くうを懐ろに抱いたままで語り続けているだけのこと。だからこそ、彼にしては言葉を選んで語ってもいて、
「乱菊とやらは別段“正妃”の座など欲しくはなかったが、あんたとの間に出来た くうって“やや”がいる。くうが次の王となるなら、彼女は人間世界で言う“国母”になっちまう。」
此処まではどこか…意地の悪い暴露めいた言いようをしていた蛭魔だが、ふと、その表情を和ませて。
「あんたはなかなか生真面目な男であったらしいな。他には“やや”が居ないらしいじゃねぇか。というか、血統は自分の方が上だと譲らずの権高い正室がつまらぬ意地を張り、お高くとまっているのを口説くのに辟易していたところを、優しく慰めてくれたのが乱菊だった。」
腹心の手先にまでそんな陰口叩かれてる正室様ってのも、なかなか哀れではあったがのと。そこはさらりと流した蛭魔だったものの、
「母御はただ単に母としての情から くうも連れ去っただけなのだろが。それを“草の根分けても探して連れ戻して参れ”と部下らに下したあんたからの命令にしても、ただただ愛しい家族を取り戻したくての一心から出たものだったのだろが。それを聞いた北の方様とやらには とある含みがあるよに聞こえたらしいぜ? この後には側室を持たぬ、あの葛の葉をこそ跡取りとする。だから、逃げたものをそのまま見切らぬのだ…とな。」
妄執の恐ろしさというやつかの、と。さしもの蛭魔もその声が沈んでしまい、
「追っ手として放たれた中の、さっきの連中にだけは、その正室からちょいと違った命令が付け足されておったらしい。世継ぎの和子には手を出すな。だが、母の方は…例えば事故で亡くなっても致し方がない、とな。」
そして、あんたもそれと知ってしまった。此処を捜し当てたからこそ、さっきの連中の動向が耳目に入ったって順番かい? 見つけておきながら、何故に手をこまねいているのかと、不審に思ってその周辺、調べさせてみたのだろう。そして…誰が何をしたのかを厳格に浚ったその上で。その始末をつけてから、此処へとまかりこした。
「神様の遣わしめだものな。潔白が何にも優先されるべき信条だろさ。」
だからこそのきっと、融通が利かない“絶対なもの”なんだろうがな、と。誰へのものだが、ちょっとばかり哀れむような顔をした蛭魔は、
「そっちの仕置きはまま、その女の自業自得でもあろうがの、結局のところ、あんたのいたらなさが二人の女を深く傷つけたんだ。」
傲慢な妻でもそれなり、敬愛の情だけは向け続けてやれば、こうまで不安にはならなんだものを…と続けかけて、だが、
「ま、独りもんの俺には、そっち方面へ判ったようなことなぞ言えた義理ではないのかも知れんがな。」
付け足すような苦笑をして見せて。そして、
「あんたにはそんな傲慢が許されるというのなら、
そんな奴には尚更 くうは渡せねぇ。
神やそれに準ずる格の頭領様だというならば、
懐ろの深きをせいぜい見せて、ここは諦めて帰るこった。」
どんなに地位ある天世界の重鎮であれ、こっちからしてみれば、結局のところさっき追い払った連中と さして変わりはしないのだと。毅然とした顔で、声で、きっぱりと言い放った蛭魔である。その懐ろに小さな和子を掻い込んだままという恰好なのに、
「〜〜〜。」
斬りつけるよに怒鳴ったお館様へか、それともこの場の空気へか。少々怯えたらしき幼子へ、
「んん? どうした?」
少しほど表情を緩めて穏やかな声をかけてやる姿が、なのに…その威勢を少しも削ぎはしないのが、不思議といや不思議であり、
《 …おもしろい御仁だの。》
揶揄するでない、こちらも静かなお声を発した玉藻様。
《 恐らくは精一杯の丁寧さであしらいたいのだろうに。
珍しゅうも感情が高ぶって邪魔をしておらっしゃる。》
「…うるせぇよ。」
図星であったか、ふいっとそっぽを向いた蛭魔だったが、葉柱としては苦笑が絶えない。彼もまた同じことへと気づいていたからで、そこへ、
《 畏れながら。》
先程消えたはずの侍者の姿が、いつの間にやら後方の庭先に跪いて現れ出ており、
《 我らが主人が名乗れぬは、それこそ名乗ってしまえば上からの押し付けになるからとの思慮からのこと。傲慢との誤解あらば、それだけはお解き下さいませ。》
何とか助言をと思いての、差し出がましい口出しへ、
《 これ、朽葉。》
さすがに主人が咎めたが、彼の声は遮られはせず。
《 そこな和子様は、主人のみならず、我ら一族が待ちに待ったお世継ぎ様にあらっしゃれば。どうあってもお戻りいただかねばなりませぬ。》
今回の御主の直々の訪ないは、単なる挨拶やお詫びのみにはあらず。はたまた、大上段からの物言いで、先様である貴方様がたのお気持ちや意志を、強引にねじ伏せるつもりもないのではありますが。
《 どうあっても聞いていただかねばならぬ話を通すため、
使者任せにしていいことではないからと、自らお運びになられたもの。》
決して無理を力づくにて通したいのではありませぬ。ですが、我らの側でも後には引けぬこの事態。どうかどうかお聞き入れ下さいませぬかと、額を地面へ擦りつけまでして、陳情を続ける彼であり。
「…何でまた、そんなにもこの子にこだわる?」
正室の勘違いもそうだが、まだまだ子が出来る見込みはあろうによ、と。さすがに少々気圧されでもしたものか、蛭魔が怪訝そうな声を出す。
「それとも、長の子は一世一代に一人しか生まれぬのか?」
だとすれば…正室の謀りごとの中、くうを殺めてはならぬとしたのも頷ける。母は憎いが子供は大事。自分たち一族の長の血統が滅んでは何にもならぬという、定理のようなものがあってのことだということにもなるのだが、
《 そういう次第ではありませぬが…。》
玉藻様はそうと応じて、だが、
《 ………。》
少々、気まずいというお顔になって口ごもるものだから。
「???」
何だよ、ここまで結構何でも話してくれてたものが、いきなりの黙んまりかと。蛭魔がますますのことその細い眉を顰めたその時だ。
「…?」
小さなお手々で蛭魔のまとう衣紋をきゅうと掴んで。離されまいぞとしてか それとも、怖いの怖いのと怯えてか。幼子なりの懸命さにて、しっかと掴まっていた くうだったのが。
「くう?」
真ん丸な頭の後ろの上のほうへと、仔馬のお尻尾みたいにして結い上げられた、細い質の明るい栗色の髪をぱさぱさと左右へふりふり。きょろきょろと周囲を見回し始めた彼であり。何か気になるものを感じたらしく、だが、当人にもそれが何なのか…どんな恰好の、どんな姿の代物かまでは判っていないのか、よいちょと蛭魔のお膝から降りて、広間中をぐるりと見回しても、
「???」
判らないのというお顔でいるばかり。そんな彼の…髪の間から立っていた三角のお耳が、不意に“ふるる・はたはた”と震えて見せて。それからそれから、蛭魔へは背中を向けると、
「…?」
ご当人にも何が何やらという事態であるらしく、おっかなびっくりの怖ず怖ずとという風情で…初見な筈のお客人、玉藻の方へと歩み出すではないか。
「…おお。」
意外な運びではあったが、それにしては…蛭魔が思わず零した声がさして尖ったそれではなかった辺り。
“…おや。”
本当のどうしてもどうしても、帰すつもりがないという彼でもなかったのかもと。今頃ながらに気づいた葉柱だったのはともかくとして。(こらこら)
「???」
ほてほてと、板敷きの床を軽い音にて叩くようにして歩み寄った相手には、やはり見覚えがないものか。あと数歩を残して立ち止まり、きょとんと小首を傾げるくうではあったが。それにしては…このお方とて、さっきまで彼を怖がらせていた奴らと同じ一族の存在だのに、怖がりもしなければ怯みもしないのはどういうことか。
“…いやそれは、個別認識が出来てりゃあ、さっきの奴らとは違う人なんだから、怖いとは思わないだろうがよ。”
では何故、物心つくかつかぬかで葉柱が匿ったところの、故に逢ったとしても記憶にはなかろう相手だというに。お顔をじっと見続けている彼なのか。
――― そんな彼の丸ぁるいおでこが、
ほわんと光って、それから。やわらかな前髪がふわふわと浮き上がり始める。ちょうど眉間の少し上あたりへ、彼自身の親指ほどもあるかどうかという小さな丸い光が灯り、そこから微かな風でも吹き上がっているものか、猫っ毛の髪をひらひらと舞い上がらせていて。
「…くう?」
何だなんだ何ごとだと、蛭魔が立ち上がったのとほぼ同時、
《 …あ。》
今度は…玉藻様の懐ろが、羽織った錦の衣紋の前合わせの重なりを、内側から貫き通して透かすほどもの光を放つ。掌をあてがってもそれを通り抜ける不思議な光は、だが、真ん前に立つ くうの額の光を目指して放たれており、
「この子とお前さんと、まるきり逢う機会がなかったのか?」
葉柱が訊くと、玉藻は呆然としつつもゆるゆるとかぶりを振る。
「産屋(うぶや)は天宮の奥向きに設けたので、生まれてすぐからしばらくは、乱菊も…この子の母もこの子も すぐ手元におってくれて。」
ぽかんとしている くうを見て、不思議な現象よりもそのお顔へと見とれる彼だ。どこの子でも同じように見えたろう乳児期よりもずっと、顔付きが決まって来ている年頃だけに。母である寵妃の面差しが残ってでもいたか、それとも…それこそ父性をつつかれ、感極まっておいでであるのか。そんな玉藻へと視線を据え直した くうは、
「〜〜〜〜〜。」
その小さな手を持ち上げるとその甲で、眠いときを思わせるような所作で、目元をこしこしと擦り始める。眩しいのがいやなのか、だったら離れればいいのにと、蛭魔が手を伸ばし、屈みかかった間合いへ、
――― こつん、と。
何やら微かな堅い音がし、板の間の上、小さな堅いものが落ちたことを響かせる。それと同時にふっと不思議な光は消えて、
「う〜〜〜。」
何かしらの生気が放たれていたものか。なので、小さな くうには少しほど疲れてしまったということか、むずがるような声を出し、それまで向かい合っていた玉藻にくるりと背を向けると、
「おやかまさま。」
日頃と何ら変わりなく、抱っこしてと腕を伸ばしてくる無邪気さよ。それはまま、いいとして。
《 ……………。》
全然よくない天狐の長が、その肩を見るからに落としたのへと苦笑をしつつも、
「なあ、あんた。」
葉柱が、気安い声をかけており。何でしょうかと、気落ちしたままなお顔を向けて来たのへと、
「もしやして。どうしてもと くうを迎えに来たのは、これのせいなんじゃないのか?」
そんな声を掛けながら…床板の上から彼が拾い上げたのは、小さな小さな石のようなもの。指が長くて手も大きい葉柱なので、とっても小さな、おはじきのようにも見えるそれだが、
「あ…。」
さっきまで、くうの額で光っていた光がそういえば、丁度これくらいではなかったか。
「これは匂玉まがだまだ。しかも…こんな小さいのに、力を秘めてる生きた“玉ぎょく”だ。」
葉柱の紡いだ声は、蛭魔にも聞こえており、
「この手の“玉”は持ち主が決まってて、その成長に合わせて少しずつ育つって訊いたことがある。そういう血統の者の身へ自然と生じる場合もあれば…。」
《 我らの場合は、親が子へ最初の“徽印しるし”を授けます。》
葉柱の言を引き取り、玉藻が続け、
《 とはいえ、それが育つかどうかは本人の素養や育ち次第。》
あくまでも“遣わしめ”の一族だから、神格というほどもの厳格さで扱われるものではなく。その子に才や質が足りねば、さして育たず昇華されるだけ。それが、
《 こんなにも育っていたとは…。》
後から聞いたが、ほんの1年かそこらではあり得ぬ大きさだそうで。此処でいかに奔放に伸び伸びと育てられたかの証しというところかも。そんな彼らのやり取りを、
「………。」
ややもすると くうと同じようなポカンとしたよな顔つきで眺めていた蛭魔だったが、
「…なあ、くうよ。」
此処に来てようやくという感もあったほどの遅ればせながら。一番の当事者であるくう本人へと声を掛けており、
「うにゃ?」
「あそこにいるおじさんを、お前、どう思うね。」
ねだられたままにその腕の中へ、抱き上げて差し上げた小さな男の子へと。そんなお声を掛けてやれば、
「???」
あそこのと視線で示された方を向いた小さな和子は、先程と同じような…知らない人への“?”というお顔をして見せたものの、
「青のつゆつゆなの。」
「…は?」
蛭魔の着物の胸元へとしがみついてた手を片方外し、畏れ多くも天狐の長様を、その小さな小さなお指でちょいと指差して。
「あんね、お胸につやつやの丸いの。そいで、くうに触らしてくれたの。」
そうと言ってから、大きな双眸を細めると、それは素直に“にこぱvv”と笑う。産屋と呼んだお部屋に居たころに顔を合わせて以来の相手。生まれたばかりも同然な赤子が、身の回りの人や物や何やを 何かしら、覚えているということがあり得るのかどうかは定かではないが、
《 …もしや。》
玉藻様が、自分の懐ろ、先程不思議な光を放っていた辺りへと手を差し入れ、そこから提げ緒を掴んでずるずると引っ張り出したもの。濃紺の組紐を提げ緒として、葉柱が拾い上げたのと同じ、つややかな匂玉を首から下げていた彼であり、その色が…鮮やかな青。自分の手へとそれを提げつつも、
《 ………。》
声もなく呆然としている玉藻様や、くすすと笑った葉柱をよそに、
「ね? 青のつゆつゆvv」
ツルツルと言い切れない、舌っ足らずな仔ギツネ坊や。それはそれは嬉しそうに“にこぱvv”と笑って見せたのだった。
◇
春の日のいかにもな間近さを思わせるよに、随分と明るい時間帯が長くなった夕暮れどきを迎えつつあった頃合いに。
「そんなの酷いですぅ。」
庭先の椿を震わすほどもの勢いで、いかにも“不満がいっぱい”という非難めいたお声を上げた者がある。何が起きるか判らないからという理由でもって、その身を退避させられていた東宮へ。簡易式神の紙の小鳥が飛んで来て“もう戻ってもいいよ”というお師匠様からの言伝てが届いたので。取るものも取りあえず、大急ぎで戻って来たセナだったのだけれども。大事は既に片付いていたその上、父上とのご対面を果たした くうちゃんも、もう安心だからと天界へ帰ったとのお話で。彼のあるべき居場所が判り、この度 そこへ、しかも安泰に、戻ることが出来たは何よりだったが、だが しかし。
「お別れを言ってないですよう。」
何だかんだ言っても、一番にあの小さな坊やの遊び相手になってやっていたのはこのセナだったのだし。初めて自分よりも小さい子が家族に加わり、それはそれは喜んで、心から可愛がってやっていただけに。何の名残りもなくのいきなり“もう帰った”と言われても、そこは承服しかねる彼であり。第一、そんな途轍もないお話だっただなんて、全然の全く聞かされてませんと、もうもう何に怒ったらいいのか、はたまた嘆けばいいのか、すっかりと混乱してしまっているセナが、取りあえずと大きな瞳を潤ませたのへ、
「案ずるな。」
蛭魔がふふんと笑ったのとほぼ同時、
「せ〜なっ!」
何処からか、馴染みのお声が飛んで来て。え? え?と大慌てであちこちを見回したセナの小さな背中へと、天井からとは思えぬ高さから ひらりら・ぽそりと降って来たのは…あの小さな仔ギツネさんではないか。
「くうちゃんっ!」
にゃは〜vvっという、セナにもよく似た愛らしい笑い方といい、暖かい温みも、ふかふかな身の軽さもそのままに、間違いなくの本人だったが、
「え? え? でもなんで?」
何だお前、逢いたかったんじゃあなかったのか? 戸惑いの原因が既に判っていて、そんな遠回しな訊き方をする意地悪なお館様なのも、全てが丸く収まって、いい方向への片付き方をしたればこそのこと。
「そういう意味じゃないですよっ」
律義にもそんな答えを返し、再び“むむう〜〜〜っ”と膨れた書生くんのふわふかな髪をぽんぽんと撫でてやりつつ、
「向こうへ行ったきりになった訳じゃねぇのさ。」
一番に発達を見せる時期にいた、地上の世界の方にこそ馴染みも深かろう くうだからということで。先々で“遣わしめ”として度々降りることとなる地上や人間への見識を深めるお勉強を兼ねて、こちらでの滞在も可能なように、くうだけが天界と地上とを行き来出来る、特別の“門”を開けていただいてあるのだそうで。
「まあ、こっちの世界のお行儀なんてもんが、天世界の権門社会へどれほど通用するのかは謎だがな。」
またそういう可愛げのない言い方をして、と。葉柱が苦笑をし、あの、天狐の長のお言葉を思い出す。
《 深き情もて遇していただいていたこと、いくら感謝しても足りませぬ。》
先々で一族の長となるべく授けられた匂玉が、無意識下でああもすくすく育っていたは、それはそれは深い慈愛をそそがれ、心身共に豊かに育っていたという、その証しでもあって。臍曲がりで皮肉屋で天の邪鬼で、およそ人から好かれようなんてこと、考えたこともなかろう、ただただ逞しくも強気な金髪痩躯の陰陽師。そんな彼の、唯一苦手とする不器用な優しさが、どうしてだろうか今回もまた、最良の結果を導いて、ほら。仲間たちを、家族たちを、幸せそうな笑顔にしている。
“ホ〜ント、世界最強だよな、お前。”
天世界の存在にまで、一目置かれてしまった訳で。一体どこまで強く、そして…優しくなってゆくやらと、こっそり微笑った総帥殿へ、
「…な〜にを思い出し笑いなんかしてやがる。こんのすけべえが。」
「うっせぇよ、隠れ甘ちゃんが。」
「なんだと? こら。」
ああもう、こんなおめでたい日にややこしい喧嘩はダメダメですったらと。さっきまでは一番へそを曲げていたセナから制止されてりゃ世話はなく。
――― さても、春はもうじき訪ない、
桜に山吹、桃に馬酔木に、
様々な春の使者を咲かせての、
待ち遠しき爛漫に、皆して夢馳せる…。
〜Fine〜 07.2.23.〜3.28.
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*うあ〜、今年の旧の“初午”の25日には間に合いませなんだですね。
頑張ってはみたのですが、待ってた方にはすみませんでした。
実は最初から、筆者の頭の中では
“一時的なゲストキャラ”という扱いだったくうちゃんなのですが、
意外と人気があったので、ついつい出番も増えての、
この“結末篇”のお話もえらいこと尺が伸びてのこの長さ。
もともと考えていた案では、もっと簡単にお迎えが来て、
帰るのヤダと駄々をこねつつも、お館様に宥められ、
じゃあまたねとお別れで終わる予定だったのですが…。
どうにもそうは行かなくなってしまいまして。(う〜んとvv)
もう少し、マスコットとしてはしゃいでいただくこととなりました。
別なお話の“カメちゃん”といい、
何でこうも意外なオリキャラがウケてしまうのか…。(苦笑)
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